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――文学青年たちの、東京物語。


東京青年

片岡義男

名前は仮にスーザン


 ヨシオは私立の高校に通う三年生だ。彼のいるクラスの人数は男女十二名ずつで、合計二十四名だ。十二名の女性のなかに美人がふたりいる。特別の教科以外はいつもおなじ教室だ。その教室の、右端の列の前から三番めの席に美人がひとりいる。もうひとりは、中央からひとつだけ左に寄った席の、うしろからふたつめの席にすわっている。
 本来ならヨシオの席はいちばん窓側のうしろから二番めだ。彼は右隣りの人と席を代わってもらった。だから彼の席は美人の左隣りだ。授業中、ふと、彼はその美人を見る。頭のかたちのいい、したがって彫りの効いた、すっきりとまとまった横顔をしている彼女は、端正な雰囲気の常にある理知的な美人だ。冷たい、と多くの人は彼女を評した。しかし、印象は冷たくても美人であることになんら変わりはなかった。身のこなしは常に静かで、りんとした声でよく質問した。


美しき太腿のほとり


 五月の晴れた日、大学の近くにヨシオは一軒の喫茶店を見つけた。正門から歩いて七、八分、住宅地が始まる静かなあたりに、その喫茶店はあった。店から先は小さな丘の重なり合う複雑な地形だ。そのぜんたいが、奥に向けて住宅地となっていた。歩道のある道に面した角地に前庭があり、少し引っ込んで建っている店の玄関へ、歩道からまっすぐにアプローチがあった。アプローチのかたわらに、支柱に支えられて小さな看板が立っていた。コーヒーのおいしい店、喫茶店エイヴォン、と看板には書いてあった。片仮名のエイヴォンの下に、英文字が添えてあった。
 いい店かもしれない、とヨシオは思った。だから彼はその店に入った。アプローチからポーチへ四段の階段を上がり、ドアを開いてなかに入った。玄関ホールのようなスペースから二段だけ上がって、店の中心となっている板張りのフロアが、ほどよい広さで横たわっていた。そのスペースの中央には長方形の大きなテーブルがあり、いくつもの椅子が囲んでいた。その向こうが横に長くカウンターで、カウンターのなかが調理場だった。背後は壁いちめんに棚となっていた。



東京だより

太宰治

セクション1


 東京は、いま、働く少女で一ぱいです。朝夕、工場の行き帰り、少女たちは二列縦隊に並んで産業戦士の歌を合唱しながら東京の街を行進します。ほとんどもう、男の子と同じ服装をしています。でも、下駄げた鼻緒はなおが赤くて、その一点にだけ、女の子のにおいを残しています。どの子もみんな、同じ様な顔をしています。年の頃さえ、はっきり見当がつきません。全部をおかみに捧げ切ると、人間は、顔の特徴も年恰好としかっこう綺麗きれいに失ってしまうものかも知れません。東京の街を行進している時だけでなく、この女の子たちの作業中あるいは執務中の姿を見ると、なお一層、ひとりひとりの特徴を失い、所謂いわゆる「個人事情」も何も忘れて、お国のために精出しているのが、よくわかるような気がします。


セクション2


 つい先日、私の友人の画かきさんが、徴用されてる工場に勤める事になり、私はその画かきさんに用事があったので、最近三度ばかり、その工場にたずねて行きました。用事というのは、こんど出版されるはずの私の小説集の表紙の画をかいてもらう事でしたが、実は、私はこの画かきさんの画を、常々とても馬鹿にしていて、その前にも、この画かきさんが、私の小説集の表紙の画をかいてみたいと幾度も私に申出た事があったのに、私は、お前なんかに表紙の画をかかせたら、それでなくても評判の悪い私の本は、一層評判が悪くなって、ちっとも売れなくなるにきまっているから、まあ、ごめんだ、と言って、はっきりお断りして来ていたのでした。実際、そのひとの画は、下手へたくそでした。けれども、こんど工場へはいり、いまこそ小説集の表紙の画を、あらたな思いで書いてみたい、というひどく神妙な申出に接して、私は、すぐに彼の勤めている工場へ画をかいてくれ、と頼みに出かけたのです。画が下手だってかまわない。私の小説集の評判が悪くなったってかまわない。そんな事はどうだっていい。私なんかのつまらぬ小説集の表紙の画をかく事にって、彼の徴用工としての意気が更にあがるというならば、こんなに有難い事は無い。


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